パティ・ボイドと言えばジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの両方の妻として有名です。
数々のミュージシャンに愛され、モデルとしても活躍した1960年代のミューズ。
当時は知らない世代ですが、
若い頃のパティ・ボイドの写真などを見てそのかわいさに衝撃を受けました。
男性にモテモテだったのも納得の小悪魔的な可愛さです。
エリック・クラプトンとの関係にも関連のある妹の画像や現在のパティ・ボイドの様子も紹介します。
パティ・ボイドが今見ても美人
パティ・ボイドは、1944年3月17日に誕生。
イギリスのサマセット州、トーントンに生まれました。
イギリス空軍のパイロットだった父の仕事の都合で、幼少期は引っ越しを多くしています。
イギリス→スコットランド→イギリス、サリー州→ケニア。
スコットランド時代の1946年には弟のコリンが、1947年、イギリスのサリー州では妹のジェニーが、一番下の妹ポーラに至っては1951年にケニアで生まれています。
兄弟全員が違う土地で生まれているのもすごいですね。
1948年から1953年まで家族はケニアのナイロビで暮らしましたが、
1954年頃、パティ・ボイドの両親は離婚し、母は別の男性と結婚。
子供4人を連れてイギリスへ戻ります。
パイロットだった父親とはそこで別れてしまったんですね。
パティ・ボイドは父親のことをこう回想しています。
父は私が10歳頃まで家族といました。
父が私に話しかけようとしたり、コミュニケーションを取ろうとした記憶がありません。
父は遠い存在でした…
父は戦時中にパイロットとして活動していたので、多分少し心に傷を負っていたのかもしれません。
引用元:https://www.theguardian.com/theobserver/2008/nov/30/women-pattie-boyd-relationships
実の父親とはつながりが希薄だったようですね。
パティ・ボイドはサウスウエストロンドンのPutneyにある全寮制の女子校に通います。
1962年にロンドンに引っ越し、Elizabeth Arden's salonのシャンプーガールとして働き始めます。
シャンプーガールということで理容室で働いていたのでしょうね。
Elizabeth Ardenはアメリカの化粧品ブランドです。今でもありますね。
1950年代のElizabeth Ardenの広告。
レトロですね!
そこで働いていた時ファッション雑誌で働いているお客さんからモデルになるよう勧められたのだとか。
1962年からモデルを始め、ロンドン、ニューヨーク、パリで活動します。
学生時代もモテたんだろうな~と思っていたら、全寮制の女子校だったんですね。
10代の最後の方までボーイフレンドはいなかった。
全寮制の女子校に通っていたし、継父が誰かと遊びに行くのを許さなかったの。
男の子と会う機会がなかったし、出くわしてデートに誘われた時はびっくりして呆然となったことがあったわ。
水の外に投げ出された魚みたいな気分で、ひどく苦痛だった。
引用元:https://www.theguardian.com/theobserver/2008/nov/30/women-pattie-boyd-relationships
義理のお父さんが厳しかった様子。
娘のかわいさに気づいていて、守っていたのかも。
パティ・ボイド。出っ歯でも可愛い
パティ・ボイドと言えばウサギみたいな歯が特徴的。
出っ歯といえば出っ歯かも。
カメラマンの中にはパティの前歯を嫌っていた人もいたとか。
確かに特徴的ですね。
でもこの前歯含めて最高にかわいいと思いますね。
ドーリーフェイスの童顔だから、日本人にもちょっと似てる気がして。
MEGとか、丸高愛実にちょっと似てると思いました…
瞬間的にですけどね。
そんな中でもモデルとしてキャリアを積み、有名な写真家のDavid BaileyやTerence Donovanと仕事していたパティ。
着実にモデルとしてのキャリアを積み上げていきました。
イギリスのEverybody's Magazine。 (1965)
ちょっと、かわいすぎやしませんか?
このポーズと言い、笑顔といい。
このぶりっこポーズ?、こんなに昔からあったんですね。
スウェーデンのOTHER Magazine(1964)。
イギリス、Woman's Own Magazine(1964)。
アメリカ版VOGUE。1969年10月号。
イギリス版VOGUE。 ( 1970年2月号)
イタリア版 VOGUE。 (1969年7月)。
VOGUE版は化粧濃いめですね。
どちらかというと薄い、ドーリーメイクの方が可愛い気がします。
モデルとして活動する中、1964年に運命の出会いが訪れます。
映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 」に、ビートルズファンの女学生役で出演したことをきっかけに、ビートルズのギタリスト、ジョージ・ハリスンと出会います。
その後、パティは I Should Have Known Betterにも出演しています。
最初にハリスンが言った言葉は「結婚しないかい?」だったそうです。
パティはこの問いに笑ったと言います。
ハリスンは続けて、「結婚しないなら今夜ディナーに行かないかい?」。
その当時パティにはEric Swayneという写真家の彼氏がいたので、最初のデートの誘いは断りました。
上からEric Swayne、パティ・ボイド、David Bailey。
Ericさん濃い。
David Baileyは上でも出てきたVOGUEのカメラマンです。
数日後、パティは映画のセットに戻り、ハリスンはもう一度パティを誘いました。
彼女はYESと答え、二人はデートすることに。
ハリスンのために彼氏とは別れたんですね。
ジョージはvelvet-brownの瞳に暗い栗色の髪の毛で、これまで見た中で最もかっこいい男性だった。
パティは後にこのように語っていたので、ハリスンに魅力を感じていたんでしょう。
ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの付き添いで、Garrick Clubというプライベートクラブにデートしに行きます。
左からパティ、ブライアン・エプスタイン、ジョージ・ハリスン。
この時パティは20歳くらいでしょうか。
モデルの貫禄がありますね。
このプライベートクラブとはイギリス人のアッパーミドルクラスの男女がいく会員限定のクラブとのこと。
パティはエプスタイン氏の付き添いは嫌じゃなかったそうです。
彼はワインや食事やレストランについてよく知っていて、もしもパティとハリスンの若くてシャイな二人だけでそんな格式高い場所にいたら緊張しっぱなしだっただろう、と後年語っています。
その後2年間は一緒に家を買ったり飾りつけしたりと結婚へ向けての自然な流れだったように思えた。
ジョージは私がきちんと恋に落ちた最初の人。ほとんど兄弟のようにも感じた。
彼はとても楽しい人。それは理想の家族生活だった、でも私は子供を持てなかったの。
引用元:https://www.theguardian.com/theobserver/2008/nov/30/women-pattie-boyd-relationships
1966年1月21日に二人はサリー州、Epsomで結婚式を挙げます。
ポール・マッカートニー、ブライアン・エプステインが出席。
ジョン・レノン、リンゴ・スターは妻と海外に行っていたので不参加。
以前から東洋神秘学に興味を持っていて、スピリチュアル・リジェネレーション・ムーブメントに参加していたパティは、ビートルズの4人をインドの神秘論者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと引き合わせます。
1967年、8月24日のことでした。
1968年の初期、ビートルズはインドを訪れました。
このことをきっかけに二人の関係は悪い方向へ向かいます。
ジョージは瞑想に夢中になっていき、しばしば落ち込むようになった。
私の気分も彼に影響されるようになり、これまで自殺するような危機に陥ったことはなかったのに、どうやって(自殺)しようかと考えていた。ドレスを着てビーチー岬(イギリスの自殺名所の崖)から身を投げようか、とか。
自叙伝、Wonderful Tonightより 引用元:https://www.beatlesbible.com/people/pattie-boyd/
更にパティはジョージ・ハリスンが不誠実であると感じていたそうで、
特にリンゴ・スターの妻 Maureenとの関係が離婚のきっかけだったと語っています。
パティの自叙伝、Wonderful tonightによると、
Maureenが私を裏切るとは思ってもいなかった。
私が母を訪ねている間に彼女はジョージと家にいて、その時の写真がきっかけで離婚したの。
私の前でもつけていたネックレスはジョージが彼女にあげたものだったの。
引用元:https://www.beatlesbible.com/people/pattie-boyd/3/
他にも、後にローリング・ストーンズのギタリストとなるロン・ウッドとパティが浮気したことが原因とも言われていますから、当人同士で言い分があるんでしょう。
左からリンゴ・スター、妻のモーリン、パティ・ボイド、ジョージ・ハリスン。
当時パティ・ボイドが名のあるミュージシャン達からモテモテだったことは間違いないようです。
ジョン・レノン、ミック・ジャガーもボイドに惹かれていたそうで。
そして次の夫となるエリッククラプトンも例外ではありませんでした。
1960年代終盤にハリスンとクラプトンは親しくなり、パティとの接点もこの頃から生まれた様子。
クラプトンはパティをじっと見つめたり、横に座ってきたり、パティの服や料理を褒めたり、おもしろいことを言って笑わせてくれたそうです。
もはやジョージがしてくれなくなったことをしてくれたと。
パティは喜ばないのは難しかったといい、クラプトンの好意が嬉しかったようです。
パティ・ボイドの妹の画像
パティに魅力を感じる一方、パティの妹のポーラにも惹かれていたというクラプトン。
ポーラは当時17歳でした。
ポーラの画像です。
姉のパティにそれなりに似ているかも。
しかし、ポーラは「いとしのレイラ」を聞いてクラプトンの元を去ります。
姉のパティについての歌であることが明らかだったからです。
姉の代わりなんて嫌だ!っつーわけですね。
そりゃそーだ。
その後、パティ・ボイドとクラプトンは1979年に結婚。
10年間の結婚生活を送ります。
しかしその内容は波乱に満ちたものでした。
クラプトンのアルコール依存に薬物依存。
女性関係も問題ありで、クラプトンは結婚生活期間に別の二人の女性との間にそれぞれ子供を作っています。
1984年にはイボンヌ・ケリーと関係を持ち、1985年に娘のルースが誕生。
1986年にはイタリア人モデルのロリ・デル・サントとの間に息子のコナーが誕生、といった具合です。
コナー君は1991年に不慮の事故で亡くなっています。
パティ・ボイドの現在
パティ・ボイド自身も波乱に満ちた人生を送ってきていますが、クラプトンと離婚後は写真家として個展を開いたり、自伝本を発売したりと活動してきました。
パティの現在の姿がこちら。
チャーミングですよね。年を取るとこんな感じになるんですね。
ブロンドヘアーは健在です。
2015年にはRod Weston氏と3度めの結婚をしています。
71歳で3度目の結婚!です。
現在も続いていますよ。
夫婦での写真。
犬も含めて幸せそうな写真です。
所感
パティ・ボイドの写真を眺めていると本当かわいくて見入ってしまいました。
1960年代~1970年代に活躍ということですが、昔の写真見てもまったく色褪せない可愛さがすごいです。
服もメイクの感じもポーズもなんか洒落てる。
ドーリーフェイスなイギリス人ということで、イギリス人男性もこういうかわいらしい感じが好きなんだなぁというのも自分的には意外でした。
今の欧米のアーティストをみているとセクシーさを前面に押し出すノリが強いように思えて。
いかに大人びたセクシーさを出すか、という。
てっきりセクシーな女性が人気なのかと。
モデルに関して、
最近のイギリス人モデルというとカーラ・デルヴィーニュでしょうか。
顔立ち込みで強いイメージのモデルだと思います。
パティ・ボイドみたいな妖精チックな雰囲気とメイクのモデルがまた出てくるといいなぁと思う今日この頃です。