「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は大沢たかおさん主演のドラマ「JIN-仁-」で出てきたセリフです。
ドラマきっかけでよく耳にするようになりましたが、滅入っている時には反発したくなるような言葉でもありますよね。
しかし、輪廻転生説から考えるとこの言葉はあながち間違ってはいないようです。
今回は「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉の本当の意味について、輪廻転生説を踏まえて解説していきます。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」はカルマ停止論から考えると納得できる
輪廻転生説とはその名の通り、人間は何度も生まれ変わっているという理論です。
輪廻転生説と言っても宗教や研究者によって色々とグラデーションはありますが、ここではエドガー・ケイシーの輪廻転生説を参考にしてみたいと思います。
エドガーケイシーとは?
1877年生まれのアメリカ人。病気をきっかけに透視能力を開花させる。
催眠状態に入ることで依頼者の病気の治療法、前世を読み取ることができた。
これを”リーディング”と呼び、多くの人を救った。
エドガーケイシーは生前、たくさんの人に対してリーディングを行いました。
彼のリーディングによると、人間はカルマを持って何度も生まれ変わっているらしいのです。
何度も生まれ変わる目的はカルマを解消し、霊的な成長を遂げるためです。
人間は何度も何度も生まれ変わっているので、いくつも前の人生のカルマが今生で現れることもあります。
タイムラグが発生する理由は、そのカルマを償うためにふさわしい時と場所を待つためです。
前世で背負うことになったカルマが次の人生ですぐに現れるとは限らないわけですね。
場合によっては何世紀も待たないといけない場合もあります。
これをカルマ停止論と言います。
ケイシーのリーディングを受けた人の中でカルマが遅れて現れた人は、なぜこのようなタイムラグがあるのかを知りたがったと言います。
そこでケイシーに
「この人はどうしてローマ時代からのカルマを償うために今回の化身を待たなければならなかったのでしょうか?」
と尋ねたところ、
「もっと前ならできなかったからだ。」
という回答が来ました。
この場合、ふさわしい状況というのはテクノロジーの進化などの外的要因ではなく、そのカルマに耐えるのに必要な内的能力のことを指しています。
カルマの悩みに耐えるために、別の人生で勇気や行動力を培うなどして、ようやくカルマが現れる、といった具合ですね。
ここまで考えてくれているとしたら、ある意味親切ではないでしょうか^_^;
準備不足で試験やスポーツの試合に望むと失敗に終わるのは現実社会でも一緒ですよね。
準備不足でカルマに臨んで失敗すると、貴重な人生の時間を無為に過ごしてしまうこともあるでしょうから、カルマの到来が遅くなっても、準備万端でカルマと対峙した方が無駄な労力が少なくて済みます。
こちらの記事ではうまくカルマの負債を返した人の例をいくつか紹介しています。
関連記事:カルマが重い人の特徴とは?事例5つ!全ては魂の成長のため
つまり、カルマに耐えうる内的能力を培うまで、カルマは停止していることがあるということです。
それならば「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉も少しは納得いきますよね。
試練に耐えられるまで霊性が成長しているからこそ、その試練が今訪れているので、乗り越えられる可能性が十分に高いと捉えることができます。
そして、その試練を乗り越えた先には大きな成長が待っていると思うと、少しは心が軽くなるというものではないでしょうか?
別の面から見ると、今回の人生でカルマが発生するようなことをした、されたとしても、次の人生ですぐにカルマが課されるとは限らないということです。
ただ、キリスト教の言葉にもありますが、「人はまいた種子はかならず刈り取らなければならない」ので、100年後、1000年後になってもカルマは必ず現れるでしょう。
そう考えると何か嫌なことをされた時にも少しは溜飲が下がりますよね^_^;
必ず報いがあるということなので。
何を持ってカルマの解消と言うのか?
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は困難な試練にぶち当たり、立ち向かう時に大きな支えになる言葉なのですが、必ずしも試練に打ち勝つことができるとは限りませんよね。
試練の内容は病気だったり、試験だったり、結婚だったり、人によって異なると思いますが、例えば病気を患っていたとして本人は本当に治療を頑張ったけれど、最終的に亡くなってしまった場合。
この人はカルマを解消できなかった、のでしょうか?
実は亡くなることがカルマの一部である場合もあります。
誰か身近な人のカルマを解消するために亡くなることで気づきを与えることもあるのです。
アメリカの前世療法の第一人者、ブライアン・L・ワイス博士は身をもってこの体験しています。
ワイス博士は生まれてすぐの息子を難病で亡くしているのですが、息子は両親に気づきを与えるために自ら犠牲になったのです。
息子は高いレベルの魂の持ち主だったんですね。
自ら犠牲になることによって、非科学的なことを信じていなかったワイス博士に対して、「医学にも限界はある」ということを教えてくれたのです。
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ですので、試練を乗り越えられなかったからといって、魂が成長していないわけではないんですね。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言う言葉はカルマを信じる者からするとその通りなのですが、それは誰にとってのカルマか?を考える必要があります。
自分に降りかかった試練が周りに与える影響からカルマの内容を推測することもできるので、どうにもならない試練にぶち当たった時、立ち向かったけども思うような結果が得られなかった時にはこういう点から考えてみるのもいいかもしれません。
神は乗り越えられる試練しか与えないの本当の意味とは?
輪廻転生説から見ると、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は、何度もの転生を経て、カルマを乗り越えられる内的能力の準備ができているから試練が訪れた、と言い換えることができます。
そしてその試練を乗り越えた時にカルマを解消でき、霊的に成長するのです。
仮に試練を乗り越えられなかった場合、無関心でいたり、乗り越える方向に努力していなければ本当に失敗でしょうけど、全力で立ち向かったのに乗り越えられなかった場合は、そうなる運命だった、もしくはそうなることで誰か身近な人のカルマの解消に役立っている、と捉えることもできます。
この言葉をプラスに捉えて前に進んでいきたいものですね。
人から言われると嫌だけど、自分で自分を鼓舞するにはいい言葉だよね。
信じる者は救われるのさ。
なんぼでも信じるよ、エサくれるならね。